真夏の植樹

屋根にかかるアオダモ

教えている専門学校の生徒達にも、落葉樹の移植適期は休眠期の冬ですと授業しているし、NHK趣味の園芸の樹木管理のページにも記事を書いていた時はそう書いていました。でも植栽を仕事で行っていると全て冬にというわけにも行きません。例えば、商業施設で9/1日オープンというお店の植栽などは植栽工事が行えるようになるのはほぼ最後ですし、緑が入ると空間はぐっと雰囲気良くなるので、8月の植込みという事にならざるを得ません。

そんな中でもギリギリの判断はしています。基本的に、移植後水をあげられるかがポイントになるのですが、今回、植えたアオダモは落葉樹の中では夏でも頑張ってくれる方の子で、ジューンベリーも水あげていれば大丈夫の事が多い。

今回大き目のリキュウバイも計画していますが、リキュウバイは芽もやわらかいので、今週の気温が上がるもうひとやま過ぎてからにしようかなど、少しのタイミングにも気を使います。もちろん、品種だけでなく個体としてどれだけ今の場所に植わっていたか、根がどんな感じか、植え場所はどうか?なども判断材料になります。

少し秋の気配も出てきています。もう一度暑くなって、もう一雨降れば一番避けたい時季は通り過ぎるのかもしれません。

なんて事も考えながら今日は暑い日に大きな樹木を植えこんできました。

またクランベマリティマが入荷

海キャベツ

2年ほど前のブログでも入荷して喜びの記事を書いたクランベマリティマが再び1c/s入荷致しました。宿根しそうも無いけど、ちゃんとするところが偉い。そして白い花がびっちりつくところと、花の咲いた後も可愛い。

3月➡4月➡5月の可愛さ

これは、園芸店で苗で売っていたら、野菜苗にしか見えなくて売れないだろうな・・・。かといって、花の時期に鉢物にしても難しそう。ガーデン用の苗ってどう育つか知らないと買えない難しさがありますよね。

メールの返信無いときはご連絡下さい

不得意なので、言葉が合っているかわかりませんが、弊社、ホームページのサーバーのメールを経由してgmailでメール管理を行っていますが、署名にリンクでホームページアドレスを張っているからか、メール設定の問題なのか、弊社からお客様へお送りしたメールが届いていないという事がここ一ヶ月ぐらいの間に3件程ありました。

お問合せなどいただいた際は2~3日の間には返信していますので、なしのつぶてになってしまっている場合、返信が迷惑フォルダに行ってしまったり、こちら側のメールソフト上は送信済みになっているのに消えてしまっているみたいな事があるようです。

049-298-7600

※こちらの電話番号も出られない事ありますが、返信無いときはこちらまでご連絡をいただけると幸いです。

もしくは・・・

連絡付かない時はLINEからご連絡下さい

ほとんどの方とは普通にメールできているのですが、たまに届かない事があるようです。ご迷惑おかけしてしまっている方へお詫び申し上げます。

基礎をつくるための準備基礎

ちなみに、現在とりかかっている外構工事では、アイアン門扉を吊るための大きな基礎をつくるための準備をおこなっております。今回もオリジナルでイヌイフュージョンさんの製作で進めております。気持ちの入った職人さんも多く、今回も一緒に仕事できる事がとても楽しみです。

簡単に自分で“つくれる”

昼間は控えめなちいさなガーデンライト

お盆ですが、現場も進行中ですが、本日事務所でDIYの撮影がありました。とにかく格好良い庭の写真集というわけではなく、はじめての人でも“つくる”事を楽しめるようにという事で、いくつか考えましたが、その一つが控えめなガーデンライト。庭の中で昼間景色を邪魔しない事がガーデンライトにとって大切だと思うので、鉄の色の控えめさと、簡単につくれという2点にこだわったライトです。そして狙わなかったけどこのカバーは材料費すごく安価です。これから出る本なので、詳細は語れませんが、お勧めのガーデンDIYです。

雨なので、狭い事務所でブツ撮りラッシュ

そして、趣味の園芸9月号では、ベランダで多肉を飾るための棚のつくり方をご紹介させていただいております。こちらもバーベキューの網を利用した室外機カバーとしても使える作りなので、室外機カバーづくりをお考えの方はぜひご覧ください。撮影の際にお世話になっている方が多肉を持ってきてくれて飾ってくれたので、面白くてかわいい自分で陶芸で作った鉢と多肉のコラボも見所です^^

趣味の園芸9月号は多肉特集で、今までの多肉特集と比べても、より面白いと感じました。本屋さんへGOです。

色を揃えるだけで。

アイアン施工の現場に機能重視で選んだサイクルスタンド

極論、「美しい」って光の調和だなって最近思います。この光の中には色という意味もあるし、フォルムによる光の変化も含み、調和の中には対照の調和、コントラストとかも含みます。

今の現場では機能として必要で選んだステンレスのサイクルスタンドがありますが、昨日色の調節を行いました。

アイアンと近似の表情に
おお。アイアンに見える
相変わらず凄い塗料です

そして、昨日虫の話を書いたからか、突然蝉の幼虫がてくてくやってきて、仕事の横で羽化?し始めました。昨日あんなブログを書いた手前、気持ち悪いとは言えずに観察をする事に。

人生の59/60を土の中で過ごし、最後の一ヶ月だけ外に出るって、凄い話だなぁって感動してしまいます。ここからは私の妄想ですが、きっと蝉は本来土の中の生き物で、たまたま見た空に憧れて、、、、憧れて憧れて羽を手にしたのでは無いでしょうか?そのためには、実に59/60は力を貯め続けて、貯め続けて、そして羽化する。それでも残った蝉の力はごくわずか。

空に憧れてこの一瞬に全てをかけるような、人生のほぼ全てという大きすぎる代償を支払ってでも飛びたかった刹那の人生。

短時間でこれだけ身体を変化させるには実際相当のエネルギーを使っていると思います。体の大きささえ相当変わっていましたよ!

この蝉はイカロスと名付ける事にしました。これで、コンビニでて急にジジジとなっても、前よりは飛び跳ねなくて済みそうです。

ちなみに、スタッフNは怖がることなくテンションアゲアゲで撮影しまくりです。強い。

あれ?なんの話だったっけ。

虫や雑草も好きになると庭がもっと楽しくなる!?

ラムズイヤーの群集美

植物が群になると色や形の調和や自生地のような安心感も生まれて、まさに群集美という美しさが発揮されます。

これに対してアブラムシのように、虫が群でいると、色も形も調和するはずなのに、未知への恐怖が数の分だけ増幅されてしまいます。

でも、実は虫に対する“怖い”とか“嫌い”という考えは全て“知らない”から来ているのです。今でこそ国際社会ですが、長い鎖国の後、今から約150年前に黒船がやって来て見たことない髪の色の人間たちがぞろぞろと降り立ったのを見た当時の人は、さぞ怖かったでしょう。それこそ未知との遭遇です。

虫に対しても同じような事が言えて、虫たちが、人を刺すのか?植物をダメにしてしまうのか?実は害虫ではなく益虫なのか?なにもかも知らないと恐怖だけが残ります。

雑草も、育てていない植物が雑草という意味で言えばエノコロ草が売られている国があったり、ポールスミザーさんは普通のチカラシバ(ペニセタム)を上手に植栽につかったり、実は可愛い花を咲かせるものもあったり、知ると意外に“アリ”というジャッジになる事すらあります。

何が言いたいかというと、八王子のボランティアさん達と勉強会を企画していて、8/30に歩く植物図鑑と言われる柳下さんを講師に迎え、虫と雑草の話をしてもらいます。柳下さんは私と、18からの付き合いで同じ歳ですが、植物に対して師匠的な存在でもあり、虫や爬虫類に対する知識もずば抜けています。さかなくんの、虫、爬虫類、植物くん状態です。無双です。

たしか柳下さんの好きな言葉は、「蓼食う虫も好き好き」人の評価に流される事なく、ぶれない価値観を持った素敵な人です。

今回は市との企画でボランティアさんと八王子にお住いの方という位置づけになりそうですが、私もしっかり勉強してきて面白い話はフィードバックできるようにしてきます^^

虫も雑草も毛嫌いしないでまずは相手を知ると、考え方を変えられる部分もあるかもしれません。もしかしたら、虫や雑草の話だけでなく人間関係や、外交問題も同じことが言えるかも!?

ディテールのせめぎ合い

テイカカズラの葉をすり抜けて事務所にやってくる光達

昨年作った写真のテーブル、実は設計段階では天板がフチのLアングルの中にすっぽり納まるデザインでした。事務所の水場件、棚などは全てこの作り方です。溶接まですっかり終わっている段階でしたが、その姿を見て、あれ??何か違うって感じでした。フレームの中に木を収めると、鉄のラインが強調されすっきりとした印象ですが、せっかくバーンウッド風にエイジングした木材の良さも鉄のラインにしまわれてしまった感じです。

最初から気づくべきだった。

天板を大きくはできないので、鉄をサイズ変更で、切り、短くして溶接しなおしです。結果、一気に色のバランスまで良くなったようです。比率で言うと2%とか、3%白が減り、ベージュが増えたぐらいなものですが、見た目の良さは200%にUPです。

とてもとても細かいディテールの話ですが、事務所のテーブルは、そんなディテールの積み重ねで空間は大きく変わってくるものだなと毎日思い出すことができる、自分にとって“戒め”のテーブルでもあります。

自然は真空を嫌う

ジンクリッチ塗装の状態

アトリエでは、かつてない量のアイアン製品が製作されています。昨年辺りから人数少ないながらも、新たな縁や、それぞれのスキルアップで仕事をできる量が少しづつ増えてきているなあ・・・と思っていて、その分ちゃんと仕事が増えたらいいなと思っていたら、その分以上のお話をいただいております。

ありがとうございます<m(__)m>

同年代の仲間、横のつながりと、上から引っ張ってもらう力、そして下から支えてもらう力がかみ合うと仕事や成長はうまく行くと言いますが、アトリエ朴の場合、本当に上の方に良くしてもらってきましたし、横のつながりにも恵まれていました。今は若い力も加わってさあ、みんなで頑張ろう!!という状態です。

体調管理には気を付けながら、みんなで苦しみと楽しみを味わって一現場ごとに「格好良いね!」と笑顔で言えるよう頑張っていきたいと思います。

コトワザやメイゲン

こう見えて、小学生のころなぜかことわざが好きでした。 祖母から誕生日にもらった「ことわざ辞典」を何度も読んでいた気がします。(中身はだいぶ忘れてしまいました) そして、子供ながらに宗教がたくさんある事が不思議で、むしろ先人たちの素朴な?教えであることわざという言葉の中にこそ「神」がいるようにすら思っていました。

あれから30年の時を経て、答え合わせのように人生を歩み、すごく腑に落ちる言葉もいくつかありました。その一つが、ことわざではないかもしれないけど、上の言葉です。

言葉≠行動 これは、わりと当たり前で、嘘をついているわけでなく、想いが行動になるスピードと、想いが言葉に整理されるスピードが必ずしも一緒ではない。言葉が先に整理され、喋りが達者になる人もいれば、凄い事ができているのにまだ論理的には説明できない、みたいな事も多々あるかと思います。

でも、言葉と行動では行動の方が素直に想いが出ると思います。それも、長期的にみれば想いと違う行動は難しいかと思います。

自分の想いと行動と言葉も客観的に見つめなおしたいなあとふと思いました。

眺める庭

昔の庭園は、観賞庭園で、だいたいが客間からの眺めを重視して作られていたそう。今は観賞目的もあるけど実用性が求められてきている。

じゃあ、観賞目的だけで見た目重視で作れたら今より簡単かというと、逆に難しい部分もあると思う。

水槽や、火や波はなぜだかずっと見ていられるけど、動かない景色はずっとは眺めていられない。きっと1分もすれば飽きてしまう。

それを、客間からの眺め、つまりはステータス的な役目も果たすモノが庭だったという事は、いろんな工夫があったと思う。

流れもその一つだし、江戸時代の造園の本に書かれている手法に「灯障りの木」という役木のテクニックが書かれていて、これは灯篭の傍に木を植えなさいと言うもの。そしてその木は松みたいに硬い木ではなく、ヤマブキなどやわらかい枝を持つもの。つまり、風でそよぐと、灯りが映す“影”も揺らぐものを植えなさいという事。

シンプル故に奥深く、こんな粋な計らいは、灯篭がガーデンライトに変わろうとも真似できるテクニックで、どんどん真似していくつもりです。

バタフライガーデンしかり、鳥を呼ぶ庭しかり、眺めを考えるという事は、動きを考えるという事なのかもしれないですね。

Rose Chinensis var. Vilridiflora

“グリーンローズ”

植物の主たる目的は種の繁栄。

でも、この子は花を咲かせて種をつくる事よりも自らの成長に全ての力を注ぎこむべく?花でまで光合成をしようとしている。

極めて貪欲。

結果、個性ある姿が人気で、自ら種をつくらずとも、人々が栄養繁殖させて種の繁栄ならぬ個の繁栄を実現させている。

革命児のようなバラ。

葉のような花は控えめで派手好きの人からは認めてもらえないけど、冬に赤く色づく姿は、虚を突かれる。

生き方まで含めると一番美しいバラなのかもしれない。雌しべ、雄しべを退化させたアバンギャルドなバラである。

ようは、お勧めのバラです!

植物の方が優れていると思う

地球もきれいな球体ではないらしいです(バオバブの実)

植物の方がずっと長く地球上に存在していて、

植物の方がうまく地球と付き合っている。

黄金比の説明にも良く出てくるシダの芽出し

ある意味、レオナルドダビンチより数学、物理、アートと多岐に渡り優れていて、最も効果的な葉の展開方法まで、計算しつくしている。

彼ら(彼女)はこれほど優れているのに、急激な進化や、変化、他の動物などへの攻撃を最小限にとどめているのはなぜだろう。

美しすぎる斑入りバナナ

きっと、急激な進化や変化、攻撃がもたらすものまでわかっているからかもしれない。

自然崇拝を語りたいわけでもないけど、機能などの価値とともに、美しさの価値をデザイナーとして考えた時も植物にはなかなか敵わないなって。

もし自分がプロダクトデザインをしていたとしたら、植物に寄せていくデザインばかりになりそうな気がする。

そんな中、自分の行っている植物を使った空間デザインって考えようによっては凄く特殊で、植物に寄せるもなにも、“植物”を扱える。逆に言うと、扱わなくてはいけないというこわささえ覚える。

まるで、尊敬する師匠に指示しなければいけないようなこわさ。

うわべだけじゃ無くてちゃんと植物の声を聞けるようなデザイナーになりたい。